与謝野晶子をとりまく人々

第2回 〜5月の風は雛罌粟色<2>〜

 

与謝野晶子の詩

 

セエヌ川       与謝野晶子

ほんにセエヌ川よ、いつ見ても
灰がかりたる浅みどり…
陰影に隠れたうすものか、
泣いた夜明の黒髪か。

いいえ、セエヌ川は泣きませぬ。
橋から覗くわたしこそ
旅にやつれたわたしこそ…

あれ、じっと、紅玉の涙のにじむこと…
船にも岸にも灯がともる。
セエヌ川よ、
やっぱりそなたも泣いている、
女ごころのセエヌ川…

初出 巴里雑詠−青踏大元9 無題−夏より秋へ 大3.1

 

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ベルサイユの逍遥       与謝野晶子

ベルサイユの宮の
大理石の階を降り、
後庭の六月の
花と、香と、光の間を過ぎて
われ等三人の日本人は
廣大なる森の中に入りぬ。

二百年を経たる撫の大樹は
明るき緑の天幕を空に張り、
その下に紫の苔生ひて、
物古りし石の草の卓一つ
匐ふ蔦の黄緑の若葉と
薄赤き蔓 とに埋まれり。

二人の男は石の卓に肘つきて
苔の上に横たはり、
われは上衣を脱ぎて
撫の根がたに蹲踞りぬ。
快き静けさよ、 かなたの梢に小鳥の高音…
近き涼風の中に立麝香草の香り…

わが心は宮の中に見たる
ルイ王とナポレオン皇帝との
葦麗と豪奢とに醉ひつつあり。
后達の寝室の清清しき白と金色…
モリエエルの演じたる
宮廷劇場の静かな猩猩緋…

されど、楽しきわが夢は覺めぬ。
目まぐるしき過去の世紀は
かの王后の榮華と共に亡びぬ。
わが目に映るは今
暗き人間の外に立てる
撫の大樹と石の卓とばかり。

ああ、われは寂し、
わが追ひつつありしは
人間の短命の生なりき。
いでや、森よ、
われは千年の森の心を得て、
悠悠と人間の街に歸るよしもがな。

「初出」森の中にて、読売新聞 大4.2.21 ベルサイユの逍遥一無ごろ 大5.5

 

 

 

〜5月の風は雛罌粟色<1>〜

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