与謝野晶子をとりまく人々

第5回 〜6月の大連〜


第5回〜6月の大連〜

『君死にたまふことなかれ』 与謝野晶子詩碑建立

                 詩・文/写真 石田郁代


晶子詩碑と何学長を囲んで
 大連といえば誰もが『アカシアの大連(清岡卓行著)』を連想されるであろう。 しかし私が訪中したのは6月下旬だったから、すでにアカシアの 花期は終わっていた。そのかわり、合歓の花が咲きはじめ、 4日間の滞在中、大連の街路樹は、淡い淡い夢のような合歓の花 が満開で、私たちを歓迎してくれた。




H11.6.24〜27の4日間宿泊した大連賓館
(旧大和ホテル)ロビーの歓迎掲示板


合歓の木の下で

詩・石田郁代 

大連のあの合歓の花は
もう咲いたかしら
うす桃色と白色と
絹糸よりもっと細い花びらを
あの朝
貴女は咲かせましたね
貴女の『君死にたまふことなかれ』
詩碑除幕式典が挙行される朝
昨日まで蕾だったというのに
合歓の木はその日の朝
花を咲かせました
貴女のふるさと堺から訪れた
「晶子と平和の旅」ツアーの私たちを
咲いた合歓の花が
優しく出迎え
中国の遼寧師範大学と日本の文学を愛する人々の心を
合歓は
銀のくさりの輪に育んだ

あ々をとうとよ君を泣く
君死にたまふこと勿れ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

<与謝野晶子>

晶子の詩を
日本文学を学ぶ異国の学生らと
日本文学研究訪中団の私たちは
建立された詩碑の前で合唱した
約百名の大合唱だった

合歓の木の下に立つ与謝野晶子詩碑は
たった今咲いた花たちと
耳をかたむけ
自分の詩を聴かれた
その歌声は
大連の青空へ翔んでいった
大連の合歓の花は
詩碑の傍らの今年も咲いているだろうか

 

中日文学交換セミナー

 平成11年6月25日、中国 遼寧省大連市内の 遼寧師範大学外国語学院の中庭に、与謝野晶子の 代表的な「君死にたまふことなかれ」の詩が碑と なり建立された。

 表面に日本語、裏面に中国語訳の「君死にたまふこと なかれ」の全詩が彫られた銅板が、 中国産の大きな花崗岩石に、はめこめられた立派な 詩碑である。

 碑のまわりに、紫色と白色のパンジーの花が植えられ 碑の傍らに1本、合歓の木が植樹されていた。 この式典のため、6月に開花する合歓が選ばれた。色彩効果を配慮した中国側の心にくい、演出コーディネートだった。

 中国は、未だかつて外国の碑建立は許可していない。 しかし、不戦を歌った晶子の詩を大学が強く希望された。 晶子の母校である、泉陽高校寺田英夫校長と、遼寧師範大学附属高校 曲維副校長の、熱意とご努力が結実し、日本文学碑 建立が遂に実現した。(朝日新聞H11.5.24夕刊 )

 その落成式典と除幕儀式に参列する『晶子と平和への旅』 ツアーを、与謝野晶子倶楽部(会長・難波利三)が募集 したので、『晶子を学ぶ会』の友人と参加し、詩碑除幕の記念的瞬間を二人で体験した。

 日本の習慣では、碑は白布で包むが中国では、赤い布で 包んである。赤色は慶事、白色は弔事とのこと・・・。 所変われば習慣も変わるのが面白い。
 晶子の真新しい碑は、中国の例にならい赤布で覆われているのが私の目をひいた。晶子碑は除幕の時を、パンジーの花園で待っていた。そして、その朝合歓の花が咲いたのである。

 校庭での式典後、参列者は中庭の岡に建つ碑の前に移動、 その前をまるく囲んだ。 遼寧師範大学、何鴻斌学長と、晶子の詩の銅板を寄贈した、京都市在住の富村俊造氏(96歳)が赤布の両端をそれぞれ 持ち、勢いよく布をはね上げた。(写真はその決定的瞬間)

 

 割れるような拍手で、皆の見守るなか、晶子の詩が華やかに現れた。
 『平和友の会』会長、川畑康郎先生のタクトにあわせ 『君死にたまふことなかれ』のアカペラ大合唱をした。

 外国学院の学生たちは、この日のために日本語の歌の練習 をされた。私たちのツアーの36名も、大連へ到着した夜、 ホテルで川畑先生の大特訓を受けた。日中両国の約100名合唱の歌声は、 高く高く空へと、こだましていった。

高層ビルが林立する大連市中山広場(大連賓館から写す)

 



   君死にたまふことなかれ

旅順口包囲軍のなかにある弟を嘆きて   

与謝野晶子   

 左は中国語訳(銅板)








※2005年9月5日訂正

ああをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君しにたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても何事ぞ、
君は知らじなあきびとの
家のおきてになかりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されむ。

ああをとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ。
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖廉のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするや 思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ

20世紀デザイン切手第1集より

 

 晶子の実弟、鳳籌三郎の配属する大阪第4師団8連隊 が、日露戦争(左上)で最も激戦地であった203高地へ出兵した、 と彼女は噂で知った。「跡とりの弟に、もしも、万一 のことがあっては・・・」心配のあまり、上記の晶子不滅の詩が生まれた。

 詩は、『明星』9号(明治37年)に発表され、歌集 『恋衣(右上)』(明治38年1月刊)に収蔵されている。

 堺市泉陽高校の庭に、詩碑が建立されているが、最初の一行だけが彫られている。
 また、立命大学内、国際平和ミュージアムの壁にも 「君死にたまふことなかれ」詩が飾られている。
 晶子の 詩が世界各国で平和を唱え、平和な世界になるようにと 私は願ってやまない。


晶子詩碑の前で(筆者左側)


 

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