与謝野晶子をとりまく人々

第10回 〜夏より秋へ〜

新連載・石田郁代著

       治天皇(1852〜1912)崩御

文/写真 石田郁代


与謝野晶子大理石像詩碑
『堺市女性団体連絡協議会』建立(堺市女性センター内)

与謝野寛・晶子夫妻がフランス滞在中の1912(明治45)年7月30日、皇位122代明治天皇が崩御された。

天皇は7月19日、にわかに発病され在位45年、御とし61歳でみまかられた。ただちに皇太子、明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王(33歳)が践祚(せんそ)され皇位123代大正天皇になられた。

年号は大正に改元。新政府明治時代を享受した日本国民のすべてが弔慰をしめし、深い喪に服した。滞仏中の夫妻に訃報が届いたのは、イギリス、ベルギーの小旅行を終えパリに戻り、7月14日のパリ祭を楽しんだ後の訃報だった。晶子の悲しみも、その例外ではなかった。

大正元年8月19日号の東京朝日新聞に発表された「晶子女史の哀歌」8首の作品に、晶子の心情が表現されている。以下はその4首。

俄(にはか)にも東の空のかきくづれ
天津日(あまつひ)の無き歎(なげ)きかな
小雨降り白き沙漠にあるごとし
巴里の空も諒闇(りょうあん)に泣く
国こぞり悲しむ時にあな悲し
世界のはてにありてかなしむ
ひんがしに眞廣き人の道あるも
この大君の御代に初まる

 『定本与謝野晶子全集』第三巻(316〜382頁)より

 



晶子の外遊略旅程表
1912年5月5日 東京新橋駅を出発。
19日 パリ北駅へ到着。
寛の案内でパリ市内を見物
6月6日 ロワール湖畔のピニョレ婦人を訪問。
18日 詩人H・ドゥ・レニエを訪問。
パリ郊外(ムウドン)にある、彫刻家A・ロダンの家を訪問、ロダン夫人に会う。のちパリ市内の仕事場、オテル・ド・ビロンにてロダンと面会する。
24日 画家石井柏亭、小林万吾らとイギリスへ行く。
ブリュッセル、アントワープを経てパリに戻る。
7月14日 パリ祭を楽しむ
30日

明治天皇崩御。

(大正元年)9月1日 ドイツ、オーストリア、オランダへの旅に出る。
18日 パリに戻る。
9月21日 マルセイユより平野丸にて単身帰国の途につく。
10月27日 帰国。



パリ滞在中、晶子は繪も描いた。芸術の都フランスの風景と、パリ留学の画家たちに触発されたのだろうか?ルュクサンブール公園を散歩しては写生をした。一芸に秀でた人はすべて万能なのだろう。


晶子の油絵「リュクサンブール公園」
(『太陽』1978年2月発行NO.179より転載)


マロニエの葉が黄ばむ秋、晶子は思郷病におそわれ情緒不安定となる。東京に残してきたこども達がしきりに思い出されて、泣きくづれ、いちづに帰国したいと考える。

たまたまドイツで、留学中の近江湖雄三産婦人科医師に診察して貰うと、晶子は妊娠していた。
「帰国の好時期である」
医師のアドバイスもあり、後髪を引かれる思いで、夫、寛をパリに残して、渡欧したときと同様、また一人、晶子はヨーロッパを去ることになった。

9月21日、晶子は、日本郵船平野丸でフランス、マルセエユ港を出帆、日本へと向かった。

10月27日、晶子はようやく愛しいこども達の待つ日本へ帰着したが、明治天皇が崩御された日本は、すでに大正元年の秋であった。

歌集『夏より秋へ』
(新潮日本文学アルバム24より転載)

前出の外遊旅程を参考にして歌集『夏より秋へ』より選歌してみた。

(6月6日)−フランス南部のツウルにて−3首

君とわれロアルの橋を渡る時白楊(ハクヨウ)
の香の川風ぞ吹く

うす白き古塔を額に仰ぐ時いにしえの世は
知らねどよろし

月さしぬロアルの河の水上(ミナカミ)の
夫人(マダム)ピニヨンが石の山荘

(6月24日)−倫敦(ロンドン)より−3首

白塔の窓のあかりは鳥羽玉(うばたま)の
くらがりよりもかなしけれ 

                        ロンドン塔にて


埃及(エジプト)の上着を着たる歌女(うたひめ)の
後ろを歩み灯の國を行く

手を伸(ノバ)す水の少女か−むらの濃き緑より睡
蓮の咲く

                  倫敦のユウ公園にて

(7月〜8月ごろ)−フォンテンブロウにて−2首

フランス
晶子も見物したフォンデーヌブロー城

うるはしきアンリイ四世の踊場にふたり三人の低き靴音

年の名も王達の名も忘れずにいふ殿守の寒き聲(こえ)かな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(9月1日)−ミュンヘンより−3首

ドイツ
晶子も見物したニュンフェンブルグ宮殿

 

イザル川白き濁りに渡したる
長き橋よりあふぐ夕雲

恋人と世界を歩む旅にしてなど
われ一人さびしかるらん

子をすてて君に来りしその日より
物狂ほしくなりにけるかな

(秋のおとづれ)−日記より−2首

セエヌ川船上る時見馴れたる
夕の橋の暗きむらさき
                 
秋風は凱旋門をわらひにか
泣きにか来る八つの辻よ

 

 

 

ヨーロッパより帰国後の家族の写真
(『新潮日本文学アルバム』24より転載

(思郷病になって)−2首−

わが思ひいとせまぐるしふるさとを
離れず君と阿子をはなれず

かへりみぬシャンゼリゼエのうづたかき
並木のもてる葡萄色(えびいろ)の秋

(9月21日)−マルセイユにて−

仏蘭西(フランス)に君をのこして我が舟の
出づる港の秋の灰色

−船中にて詠める歌−

秋の海われは悲しき喪(も)の國をさして
去(イ)ぬなり大船にして

(10月29日)−与謝野女史帰る−

四十日ほど寝くたれ髪の我がありしうす水色の船室を出づ

涙おつかの登天のここちせしいでたちの日に似ざるものから

                      『定本与謝野晶子全集』より

 夏から秋へ季節が移り変わるように、晶子の心象も夏から秋へと映り変わっていった。

 


琴の音に巨鐘のおとのうちまじる
この怪しさも胸のひびきぞ
『夏より秋へ』上の巻より


歌集『夏より秋へ』は大正3年1月1日金尾文淵堂から刊行された。上・中・下の巻合わせて579頁の圧巻で、短歌767首、詩102篇が収められている。晶子36歳の第11歌集にあたる。歌集の大半は、ヨーロッパ訪遊をはさみ、明治45年1月から大正2年秋の作である。

上の巻は、上掲の巻頭歌ではじまり、夫がヨーロッパへ旅立ったあと生活の中で歌った作品が大部分。第10歌集『青海波』(明治45年月刊)にひきつづき、夫を旅立たせた別れの悲しさや、別れたあとの狂おしいまでの夫への恋情がうたわれている。ちなみに下記の歌は『青海波』より。



君こひし寝てもさめてもくろ髪を
梳きても筆の柄をながめても

『青海波より』

与謝野晶子百首かるた

 

中の巻には、自分も渡欧の日が近づくにつれての歌と、渡仏して、見聞した西欧を題材に生き生きと歌い上げた作品が満載。寛は39歳、晶子34歳であるが、晶子の歌は10歳も若返ったように感じさせる。

下の巻の、102篇の詩は三十一文字の短歌におさまりきれない感性を、彼女は詩で自由に表現している。詩は私たちに晶子の気持ちをストレートに伝えてくれる。
(拙稿第6回から9回〜エトワールの廣場〜などの詩を参照して頂ければ幸いである)



外遊中に妊娠した晶子は帰国して、大正2年4月、4男を出産した。愛児は彫刻家ロダンの洗礼名をとり、アウギュストと命名された。8人目の子宝だ。


出産と新生児の子育てなど、いっそう母親の負担は増すばかりだと想像されるのに、歌集『夏より秋へ』は、翌大正3年1月1日、上梓された。処女歌集『みだれ髪』より数えれば、第11番目の歌集だった。

『夏より秋へ』の歌集を刊行後、夫の寛との共著『巴里より』の紀行文集も同年5月に刊行された。『みだれ髪』刊行より、10年にわたって磨きあげられた手練と技法で綴られた筆致の文集である。共著の、寛の目からみた往時のヨーロッパ紀行文も、私の興趣をそそる。

また同年5月3日、寛との共著、紀行文集『巴里より』も金尾文淵堂から上梓した。ヨーロッパ旅行を詩も含め詳細に記述されている。

紀行文集『巴里より』 与謝野寛・晶子共著
(『与謝野晶子展』堺市博物館刊より転載)

とまれ、夏から秋へ(明治から大正へ)約150日間の晶子の旅は終わった。帰国した晶子は、女性の目で観た西欧諸国の文化や、また女性問題を発表してやまなかった。

65歳でその生涯を閉じるまで、彼女は歌壇の重鎮でありつづけ、また、つねに女性たちのリーダーでありつづけた。11人のこどもたちを育成しながら……。
トップページに掲載した堺市女性センターの与謝野晶子代理石像は、よくそれを物語っている。



さて私事であるが、2000年7月ヨーロッパ旅行をするにあたり、私は改めて『夏より秋へ』の晶子短歌をひもといた。
今から90年前、西欧の地を踏んだ晶子の詩歌と紀行文と、現代の旅行ガイドブックを読みくらべながらヨーロッパ観光をしたが、それは2倍以上の、有意義なヨーロッパの旅を私に与えてくれた。


参考図書『定本与謝野晶子全集』第三巻その他

 


〜第10回「夏より秋へ」〜 おわり
次回11は〜「舞姫」〜となります。

 

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